「富国強兵(ふこくきょうへい)」とは?意味と例文が3秒でわかる!

「富国強兵」の意味とは

富国強兵とは、明治時代の日本が掲げてた国家的スローガンのことです。

「ふこくきょうへい」と読みます。

主に経済を発展させることで、軍事力の強化を図りました。

その基本的な理念は、中国の春秋戦国時代における古典に由来します。

「富国強兵」の語源

本来、富国強兵は春秋戦国時代の中国で行われた政策の一つです。

当時の諸国における逸話や国策を編纂した『戦国策』の目録「秦策」に、その用例を見つけることができます。

また、『呉書』の「陸遜伝」にも同様な記述があり、三国時代にも影響力を持っていたことが推察されます。

一方で、儒教では富国強兵を「覇道(※)」と批判しており、儒教を重視する時代・社会では富国強兵が軽んじられる傾向があります。

(※覇道:武力や権謀術数によって支配しようとする考え方)

日本における「富国強兵」

富国強兵は明治時代における国家的スローガンとして掲げられていましたが、富国強兵に関する議論は江戸時代中期から行われていました。

中国と同様に、日本の儒学者の論調もまた富国強兵を軽視していましたが、同じ儒学者の太宰春台は『経済録』において、富国強兵の重要性を説いていました。

また、19世紀初期には後期水戸学の中心人物である藤田幽谷によって、外国に対抗する策として富国強兵を唱えています。

19世紀中頃の薩摩藩では、外国船が頻繁に琉球に来航するようになり、アヘン戦争をはじめ西洋諸国によるアジア侵略の実情が伝わっていました。

これを受け、藩主に就任した島津斉彬は富国強兵を藩政改革に取り入れ、アジア初の近代洋式工場群「集成館事業」に着手した経緯があります。

さらに安政五カ国条約をはじめ欧米列強の脅威が増す中、党派を問わず富国強兵を推し進める論調が主流になっていきました。

(※安政五カ国条約:江戸幕府が米国・英国・フランス・ロシア・オランダと交わした修好通商条約。不平等条約として悪名高い。)

以降、岩瀬忠震や横井小楠、岩倉具視など富国強兵を唱える論者は枚挙にいとまがなく、新政府の基本的政策の中心となることは必然だったと言えるでしょう。

明治政府は富国強兵を「学制」「兵制」「税制」「殖産興業」の4つの施策によって実現しようとしました。

学制は小学校教育、兵制は徴兵令、税制は地租改正を指します。

そして殖産興業は、具体的に工場の建設や交通、通信、金融制度の整備を進めることです。

日本の近代化の中で、中心的なスローガンとして掲げられましたが、その是非を巡っては現代でも歴史解釈によって賛否が分かれています。

「富国強兵」の例文・用例

富国強兵を使った例文・用例を紹介します。

✓例文・用例

●外国と対抗するために富国強兵を推し進めるべきだ。
●前時代的な富国強兵政策では外国の信用を損ないかねない。

SNSでの「富国強兵」の使われ方

「富国強兵」の類義語

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「富国強兵」の対義語・反意語

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一般用語

Posted by 杏奈琴湖