「ケツバットガール」とは?意味と例文が3秒でわかる!
「ケツバットガール」の意味とは
ケツバットガールとは、女性がケツバットをされているように見える写真という意味です。
「ケツバットガール」の意味は、「女性がケツバットされている(ように見える)写真」を意味しており、ネタとしての要素が強い特定の場面を表した単語となります。
なぜ特定的かというと、ケツバットガールとされる写真はある特定の場所で撮られた写真を指しているからです。
その場所とは新潟市古町の商店街にある「水島新司まんがストリート」となります。
ここには水島新司さんの代表作であるドカベン、あぶさんなどの銅像が立ち並んでいます。
地元の活性化のために、水島さんの出身地である新潟にシンボル的に立てられた銅像です。
そしてこの中で特にドカベンの銅像の前で撮られた写真が、ケツバットガールとして広く知られました。
ネタとして撮られた写真が反響を呼び、その後も真似をする人が続出したことで広がっていったのです。
「ケツバットガール」の語源
ケツバットガールの語源は、ケツバットをされているように見える女性です。
ケツバットガールの語源は、意味のそのままでケツバットをされているように見える女性の写真に由来しています。
商店街にある銅像の中で、ドカベンの銅像の前で撮られた写真に由来しているのです。
理由はこのドカベンの銅像が、バットをスイングしている(途中)の格好をした銅像だからとなります。
スイング中のポーズの銅像のため、この銅像のバットの前で跳ねることであたかもケツバットをされているかのような写真が撮れるのです。
そしてそうした写真を女性が被写体となり撮ったことで、話題となり世間に広まっていきました。
またネタとして広まったこともあり、次々にケツバットガールと呼ばれる写真を撮る人が増え、それに伴いケツバットガールという言葉も広まっていったのです。
いわばその銅像の前で写真を撮るときの、名物ポーズのように認識されていきました。
「ケツバットガール」の引き起こした問題
ケツバットガールは、問題を引き起こした現象です。
ケツバットガールは広く認知されていき、多くの人が真似てはネットにその画像をアップするようになりました。
そうしてケツバットガールの露出度は段々と高くなり、やがてはニュースでも取り上げられるほどの反響となったのです。
しかしこの反響は良い方向には進まなかったようで、1つの問題を引き起こしています。
それは作者である水島新司側から、銅像の撤去の依頼を申請するされたことです。
ケツバットガールによる反響が大きかったためか、銅像の管理側は大した制限をかけませんでした。
こうした経緯が作者側の意に反したようで、結局は銅像の撤去の申請という問題にまで発展したのです。
ケツバットガールは県外にも知れ渡っており、確かに観光の名物にもなっていました。
ただ作者側からすれば、こうした話題は怒りの対象だったのかもしれません。
なんにせよ話題の大きさと比例するように、作者側と商店街の管理側には亀裂が入ったようで、問題を引き起こしてしまうような結果となったのです。
「ケツバットガール」の例文・用例
ケツバットガールを使った例文・用例を紹介します。
●確かにケツバットガール は面白い発想だけど、そろそろ飽きた。
●わざわざケツバットガール をするために新潟まで行くの?。
SNSでの「ケツバットガール」の使われ方
新潟市のドカベン山田の銅像を使ったケツバットガールという遊びwww https://t.co/HtVxDuUyZB.
— ツイッター速報 (@tsuisoku) November 29, 2017
ふと思い出したのですが、我が故郷にはドカベンストリートという物がありまして。
「ケツバットガール」という流行語も発生し軽い問題になった事がありました(*´-`) pic.twitter.com/5NxKHejF3f— えっくす (@climaxxxxxxxx) May 22, 2019
「ケツバットガール」の類義語
ケツバットガールの類義語は、「サザエさんの波平さん銅像」です。
ケツバットガールは、ドカベンの銅像でふざけたことをするという意味でした。
そのため同じように、いたずらをされた銅像が類義語として挙げられます。
その代表的なものは、サザエさんの波平さん銅像で波平さんの象徴的な髪の毛を取られるといういたずらをされました。
このいたずらにはケツバットガールのような名称はありませんが、行為や銅像に対してといった部分で類義語と言えるでしょう。
「ケツバットガール」の対義語・反意語
ケツバットガールの対義語は、「ケツバットボーイ」です。
意味は、ケツバットされている(ように見える)男性です。
ケツバットガールの男性版ということから、こちらが対義語として挙げられます。
ただしケツバットガールから無理矢理派生させている感覚が強く、あまり使われていない単語です。