「関脇」とは?意味と例文が3秒でわかる!

「関脇」の意味とは

関脇とは、大相撲における力士の地位の一つです。

大相撲の地位には、上から順番に「幕内」「十両」「幕下https://www.youtube.com/watch?v=pqrwBrcgTz0https://www.youtube.com/watch?v=pqrwBrcgTz0https://www.youtube.com/watch?v=pqrwBrcgTz0」「三段目」「序二段」「序ノ口」があります。

この内「幕内」には「横綱」「大関」「関脇」「小結」があり、関脇は上から3番目の地位です。

また「大関」「小結」とともに「三役」の一翼を担っています。

ただし、大関は昇進に特別な条件が設定されていることから、関脇・小結のみを三役とみなす場合もあります。

また、関脇は千秋楽では「これより三役(※)」に出場する機会が多いです。

(※これより三役:千秋楽で行われる結びの三番の試合のこと)

ちなみに、現在(23年1月末時点)の番付における関脇は以下の4名です。

・若隆景 渥(わかたかかげ あつし)
・髙安 晃(たかやす あきら)
・豊昇龍 智勝(ほうしょうりゅう ともかつ)
・正代 直也(しょうだい なおや)

「関脇」の特徴や待遇

関脇の特徴や待遇面について説明します。

本場所では、関脇は幕内力士として全日程に取組が組まれています。

関脇の定員は東西1名ずつ2名の下限が設定されていますが、上限は決められていないようです。

とは言え、大関に次ぐ優れた力士が選ばれることから、これまでの事例では1972年の7月場所における5名が最大です。

月給は180万円で、小結と同額を与えられています。

「関脇」の成り立ち

関脇は江戸時代からある地位です。

本来、関脇という言葉には「大関の脇を務める者」という意味が込められていました。

当初は最高位は大関で、横綱が創設されたのは明治時代からです。

そのため、現在と異なり江戸時代の関脇は、大関に次ぐ2番目の地位でした。

また、当時の大関には興行用、すなわち看板としての役割を担っていて、地位に実力が伴わない場合も多く、実質、関脇が最強クラスだったとも言われています。

「関脇」に関する記録

関脇として最も本場所に出場した力士として「琴光喜 啓司(ことみつき けいじ)」を挙げることができます。

琴光喜は関脇として22場所出場しており、次点は長谷川勝敏、琴錦功宗、魁皇博之らの21場所です。

ちなみに、琴光喜は大関まで登りつめた優れた力士でしたが、2010年に発覚した大相撲野球賭博問題で日本相撲協会から解雇処分が下されています。

また、関脇の地位を連続で維持した記録として、豪栄道 豪太郎(ごうえいどう ごうたろう)の14場所です。

2012年5月場所から14年7月場所まで関脇の座を明け渡しませんでした。

次点が13場所連続の魁皇博之で、1995年1月場所から97年1月場所まで関脇を務めました。

「関脇」の例文・用例

関脇を使った例文・用例を紹介します。

✓例文・用例

●これより三役に関脇力士が出場する。
●小結の関脇への昇進が見込まれる。

SNSでの「関脇」の使われ方

「関脇」の類義語

関脇の類義語はありませんでした。

「関脇」の対義語・反意語

関脇の対義語・反意語はありませんでした。

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Posted by 杏奈琴湖