「勧進相撲」とは?意味と例文が3秒でわかる!
「勧進相撲」の意味とは
勧進相撲とは、寺社の造営や修復にかかる費用を募金する目的で行われる興行相撲のことです。読み方は「かんじんずもう」です。
「勧進相撲」の語源と歴史
勧進相撲の「勧進」とは元々、人々に仏道を勧めて善に向かわせるという意味があります。そこから、お寺や仏像の建立・修繕が徳を積むことに繋がるとし、そのために金品の寄付を募ることを指すようになりました。
そのような目的で行われる勧進相撲は戦国時代から見られるようになり、一時は風紀を乱すという理由で江戸幕府によって禁止されましたが、根強い人気により徐々に制限付きで再開されるようになりました。
その後、元禄時代に入ると幕府も勧進相撲の興行を認める姿勢に転換していき、1742年(寛保2年)には正式に解禁されました。
春(江戸)夏(京都)秋(大阪)冬(江戸)と季節ごとに開催場所を変えた「四季勧進相撲」という年中行事が確立されます。
「勧進」自体は名目のみとなり、その名称のみを残して営利目的で行われるようになっていきましたが、この勧進相撲は現在の大相撲誕生のきっかけとなっています。
現在でも地方巡業の主催者のことを「勧進元」と呼ぶことがあるのはこのためです。
「勧進相撲」の発祥地
勧進相撲は江戸幕府によって禁止されてから徐々に再開していく中で、江戸では街中の興行は風紀を乱すという理由から引き続き禁止され、春と秋の2場所に寺社の境内などで行われるようになりました。
今の大相撲の源流である勧進相撲の発祥地とされるのは、この頃の興行が行なわれていた、今の東京都江東区にある「富岡八幡宮」や東京都墨田区にある「回向院(えこういん)」などが挙げられます。
特に「回向院」は、旧両国国技館が境内に建設されるなど、その中心地として有名です。
「勧進相撲」の例文・用例
勧進相撲を使った例文・用例を紹介します。
●勧進相撲を通して、番付など今の大相撲にも残る制度が確立していったんだよ。
●勧進相撲を描いた浮世絵もたくさん残っているね。
SNSでの「勧進相撲」の使われ方
富岡八幡宮(東京 深川)1627年創建
ここの祭礼は江戸三大祭りの一つ、三年に一度の本祭りでは神輿の数と規模に圧倒される。120数基の神輿が深川、日本橋界隈を練り歩く(迫力満点)。江戸勧進相撲発祥の地でもある。伊能忠敬像も(頭に鳩)。
富岡八幡宮事件以来、ありがたみが少し薄れてしまった pic.twitter.com/n9AN4coRIY
— kamechan72 (@ys1152945085) October 19, 2021
ケンカがスクープに? 文化2(1805)年に行われた勧進相撲興行で、力士と町火消のめ組が神明寺の境内で大ゲンカとなった「め組のけんか」。当時この事件は大きな話題となり、さまざまな作品の題材として取り上げられました。作品は月岡芳年の「神明相撲闘争之図」です。 pic.twitter.com/AVnq5mkGGw
— 小学館浮世絵部 (@UkiyoeClub) December 12, 2020
「勧進相撲」の類義語
勧進相撲の類義語はありませんでした。
「勧進相撲」の対義語・反意語
勧進相撲の対義語・反意語はありませんでした。